要 旨
武士道は日本の象徴である桜に勝るとも劣らない、日本の土壌に根を下ろした固有の精神である。武士道の源は昔の日本の伝統であるが、古い思想を代表しない。武士道は清潔な精神とは言えない。うっとうしい民族が狭い島の中で、生まれて育った複雑的、混乱的、極端的な生存意識と感情傾向である。生存空間が狭いので、武士道精神の風格を留めることができる。何の物事も両面性を持つので客観的に武士道を分析するべきである。本論文は武士道が歴史上で日本の発展に与えた影響、世界人民にもたらした災難などを分析して、武士道の精神の実質を正確に究明したいと思う。
キーワード:武士道;源;武士道精神;影響
摘 要
武士道是在日本的土壤中生长的绝不亚于樱花的一种精神。它不是一种清洁的精神,是一个阴翳的民族,在狭小的岛屿中产生的一种复杂、混乱和极端的生存意识,以及情感倾向。由于狭隘的生存空间,所以能够保留武士道的风格。任何事物都有两面性,我们应该客观地分析武士道。本文就武士道的精神实质以及对日本的影响和给世界人民的带来的灾难加以分析,从而正确的探求武士道的精神实质。
关键词:武士道;来源;武士道精神;影响
武士道精神及び日本に与える影響
1.はじめに
日本人は“道”を重んじて,信条として神道があり、芸術の教養として茶道があり、スポーツに柔道と空手があって、個人の教養と準則においては武士道がある。武士道は日本の武士の道徳規範と生活の儀礼で長期の歴史の発展の中で形成した特有な精神である。それは日本の桜のように日本の土地で成長する固有の文化である。生存空間が狭いので武士道精神は複雑的、極端的な風格が留められる。そして,やわらかい一面を発展させるが、いったんこの空間が広くなったら、自身の矛盾を調和するため残忍な一面を膨張させて、世界的な災難を引き起こす。第二次世界大戦はその極端的な典型である。
2. 武士道の精神
2.1 武士道とは何か
武士道とは何かという問題に対して、明確な解答は困難である。「武士道」という語は、古くより「もののふの道」「兵の道」「武者の習」「弓矢とる身の習」「弓矢の道」などと呼ばれてきた。津田左右吉は『文学に顕われたる国民思想の研究』という著作の中で「武士道」について、次のように述べた。「中古以来『道』という語は例えば歌道というように、いまならば『専門の学芸』でもいうべき意義に用いられていたので、戦国時代には文道に対する武道という名が普通に行われ、武芸、武術、戦争の心得などと言う大差のない概念を現していた。だから、武士には文武両道の修養がなくてはならないこととせられていたのである」。「ところが信長記などに見える武者道または武篇道の語は、これとは少し違っていて、全体としての武士の心得という意義に用いられ、知識技術より人に関するも
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のと競られているらしいが、こうなるといわゆる武道だけでなく、武士の人としての道がそれに伴って考えられるようになる。」武道を体得することがおのずからその人にあるのと、武道に熟達したのみでは武士としての根本が欠けているからとの故である。
以上からわかるように「武士道」とは、武士の武芸、武術のような内容が含まれる一方、武士の人としての道という内容も含まれている思想として、日本武士の道徳規範と生活準則として、日本民族が長い歴史発展の中において形成された特有の精神である。武士道は平安時代に、武士団の形成に従って現れ、鎌倉時代に至って大きく発展してきた。江户時代に儒家の倫理道徳思想の吸収によって理論化され、その影響は日本社会の各階層に浸透し、封建支配体制の権念的な支柱になった。
新渡户稻造は『武士道』という著作の中で、次のように述べた。「武士道は上述の如く道徳的原理の碇であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、若しくは教えられたるものである。それは成文法ではない。精々、口伝により若しくは数人有名なる武士若しくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。寧ろそれは語られず書かれざる悌、心の肉碑に録されたる律法たることが多い。不言不文であるだけ、実行によって一層か強き効力を認められているのである。それは如何に有能なりといえども一人の頭脳の創造ではなく、数十年数百年に互る武士の生活の有機的発達である。」
2.2 武士道の源は何か
新渡户は仏教、日本古来の神道、孔子,孟子の教えを取り上げている。
まず、仏教が武士道に与えたのは、運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心である。それは危険に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむ
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ことでもあった。
仏教が武士道に与えられなかったものは、日本古来の神道が補った。主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、神道の教義によってよく伝えられたのである。神道の教義は愛国心と忠誠心が大きな特徴であり、それは教義というよりむしろ情念として作用していると新渡户は述べている。
武士道の道徳的な面に関しては,儒家の祖である孔子の教えが最も豊かな源泉となったようである。それは儒教における「五倫」と深く関係している。「五倫」とは人が守るべき五つの道であり、君主の義,父子の親、夫婦の別、長幼の序、友達の信のことである。新渡户は武士道の道徳は人間を己の崇高な魂と結びつけ、君臣、親子、夫婦、長幼、友達の「五倫」によって他の人の魂と結びつくという義務の道理によって決められたとする。
要するに、他者と関わりにおいて決められたということになるだろう。孔子の貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に著しく適合した。加えて、孔子の説を継承した孟子の極めて民主的教えが武士道にさらに大きい権威をもたらしたのである。このように、武士道は鎌倉武家社会を維持するために築き上げられた「封建道徳」であった。鎌倉武士は、その実践生活において、
1. 恩給関係によって各其の所を得て御家人としての義務を果たし、
2. 謙代関係による精神的情意の堅固さにより一身を賭けして本務を邁進し、
3. 戦場の訓練によって主従一体の精神を確保し、臣道実践の骨髓に浸透した。
事に依り、その主従関係は確固不動のものとなり、遂に鎌倉武士特有の精神を生み出
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した。
簡単に言えば、武士道とは其の起源から見て、「服従」の道徳であり、「忠誠」の道徳であり、「献身」の道徳であった。
2.3 武士道精神の内容
新渡户は「武士道」の中で、あらゆる文武の徳の根本として、「勇敢果敢なフエア·プレーの精神」を挙げている。新渡户は「この野性的で子供じみた素朴な感覚の中に、なんと豊かな道徳の芽生えのあることか」という。この言葉から考えると、「勇敢果敢なフエア.プレーの精神」こそ、武士道の芽生えであり、新渡户が見出した「武士道」の基本的精神だと言える。武士道が孔子や孟子の教えの影響を受けているところが多い。孔子は仁、義、智、礼、信という「五常」を主体として、簡潔に表すなら「仁」は慈悲の心、「義」は正義の心、「礼」は礼儀や礼節、「智」は叡慮や工夫、「信」は信用や信頼のことである。そして、「忠」は偽りの無い心、「孝」は父母を大事にすること、「悌」は年長者に従順なことを言う。新渡户の「武士道」の中で、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義といくつかの徳目に分け、日本人の道徳律として論じている。その中でも「義」は武士道の礎石として支柱に置かれている。
つまり、武士道精神は死のことをよく見抜き、自分の君に対する死に通して自分の忠誠を表す。
3. 武士道への関心の高まり
3.1 武士道精神への関心が高まっている現代の状況
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今日、武術や武士道精神が注目され、再評価されている。倫理観の重要性が叫ばれ、あるべき国家だ、国民道徳だ、愛国心だと国家論が流行する現代の「風潮」の背後において、見え隠れしているもの。それが新渡戸の「武士道」に基づいた武士道精神なのである。先に述べたように、新渡戸の「武士道」を普通的な道徳規範として取り上げることは間違いとは言えない。倫理観の重要性を诉えると、武士道精神を背後に据えるということは決して愚かなことではない。安部晋三首相は自分の内閣を「美しい国じくり内閣」と命名し、「私が目指すのは、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自立の精神を大事にする、世界に開かれた『美しい国日本だ』」と語った。
武士道精神への関心が高まっている現代の状況はいわゆるナショナリズムの台頭とは違って、もっと本質的なもののように思われる。明治時代の初期、西洋の新しい価値観が導入され始め、社会全体がことごとく文明開化の波に呑まれて西洋化していった後、昭和に入ってからやけに国粋的になったが、現代の状況はそれとは異なる。戦前の日本のナショナリズムとは明らかに違うものがある。単純なナショナリズムのように、無条件に「日本は良い」と取り込もうとするわけではなく、また、意図的に世界と比較し、オリジナルの国家意識や伝統精神を見直すことで、日本を見つめ直して再評価しているわけでもない。むしろ、武士道という倫理道徳観を用いて、現代社会の状況に警告を発していると感じられる。
3.2 なぜ武士道が用いられるのか
なぜ武士道が用いられるのか。それは新渡戸の言うように、「日本人の心情はたとえ理由が明らかでなくとも、昔から継承してきた観念に訴えられると、即座に応答する」からなのかもしれない。保守主義についての考察で知られる佐伯啓思は、「戦後の規範の衰退を見て、多くの人が家族や教育を立て直したいと感じていた.安部首相が示す考えは、
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そこにずっと自然に入ってくるのだろう」と指摘しているが、「ずっと自然に入ってくる」のが真実だとするなら、それは背後にある武士道精神の効果なのではないかと感ぜずにはいられない。また、近年、生や死と向き合っている漫画や小説、映画、ドラマなどが若者たちの支持を集めていることも注目すべき傾向である。このことは武術や武士道精神への関心が高まっていることと少なからず関係があるのではないかと感じる。「武士道は本来、具体性を持った身体技法であり、政治的な判断力、外交交渉術、情報収集力、心理的洞察力などの人間能力を達成することを武士道と言っていた」という内田樹の意見である。以下はこの観点を踏まえた上で日本社会と世界人民に与える影響を述べる。
4. 日本社会と世界人民に与える影響
4.1 明治維新の後で、武士道は発展する状況
明治維新の後で、武士の階層はすでに取り消された。1876年、明治天皇が「刀を廃棄する」を公布したにしたがって、武士の身分のシンボルとしての“武士刀”も廃除された。しかし、武士道は日本人を遠く離れそうですが、実は武士道はすでに日本人の魂に深く入り込んで、日本人の思惟の方式の必然的な部分である。形式上の没落しかも永遠に形式上復活することがないが、一種の弊害として、それは日本人の行為の中で、はっきりわかる。例えば:第二次世界大戦に中で、武士道思想は日本軍国主義の侵略戦争の精神武器になり、アジア諸国と世界人民と日本国民に大きな被害を与えた。
4.2 近代の資本主義市場経済の影響の中で、武士道は発展する状況
近代の資本主義市場経済の影響の中で、日本の武士道文化はさらに昇華を得て、複雑になった。特に武士道は経済の服を着て、すばらしい商業の運営を行って,驚異的な一面
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を現す。もし、日本は“商人の国”として、以前の“武士の国”と全然関係がないということ、それは違うと思う。
日本は伝統を保留して発展することに優れた国で、日本は原始の巫術の文化を発展して国家の神道文化になることができて、そして、それは今なお極みに盛んに行われさせて、この点を見抜くことができる。日本は武士道の伝統を保留して、現代的な職場へ使用する。彼らは平和時期に、戦争の時こそある武士道のナショナリズムと犠牲精神を喚起する。日本はそんな強いナショナリズムの国で、国民にいつも国の利益を思い出すように求めていた。武士道は教育を重視するだけでなく、また、悪魔の訓練を強調している。協力性を強調すぎるので、個人の思想は極めて苦しくなる。近代の日本人はあまりにも集団意識を重視して、しかし、個人の能力に不足する。私から見ると、武士道思想は日本に与える利点が全体の民族の団結ということである。近代以来、日本はこのような思想によって自己の発展が持続できた。しかし、武士道が男の権利を重視する思想のため、たとえ経済はこのように発達している国になったとしても日本の女性の地位はとても低く、男性との平等な権利を得ていない。例えば、就業する時、性別の差別があり、給料の問題などにもいろいろな不平等がある。
5.おわりに
武士道は日本の歴史の中で、百年の歴史を持ち、武士の専門の伝統だけでなく、日本人と密接な関係があって日本の社会に根を下ろす精神である。武士道の精神の中に参考になるところがあるが、その残忍な一面は中国及び世界に極めて大きな災難をもたらした。私たちは中日両国の友好、ひいては世界平和のために歴史を忘れず、警戒心を高めなければならない。
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参考文献
1. 武心波《当代日本社会和文化》 上海外语教育出版社 2001年
2. 马驿《丑陋的日本人》 山东画报出版社 2006年
3. 王志强《如此日本人》 北京中央编译出版社 2006年
4. 鲁思.本尼迪克特著(美)《菊和刀》 商务管理出版社2002年
5. 林景渊《武士道与日本传统文化精神》 台湾.自立晚报.文化出版社1993年
6. 埃德温.赖尚尔《日本人》 山海译文出版社1980年
7.韩立红 《日本文化概论》 南开大学出版社 2003年
8.家永三郎 『日本文化史』 商務印書館 1992年
9.大森和夫 『日本』 大連出版社 1997年
10. 新渡户稻造 『武士道』 企業管理出版社 1993年
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