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日语专八作文

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「中国の西双版納の抜水節について」

西双版納は中国の雲南省に位置している景色がいい観光地である。人を魅惑する熱帯森林、植物、自然景観などは、毎年多くの旅人を招いている。環境もそうだが、それよりそこで毎年一回開く祭り「抜水節」がもっと多くの旅人を招いている。「抜水節」の意味は、水を注ぐ祭りだそうだ。だったらこれはいったいなんの祭りだろうか。

西双版納に住んでいるのは、中国の少数民族だ。もちろん祭りの日になったら、男女たちがきれいな少数民族の衣装を着て、踊りながら祭りを楽しんでいる。話によると、昔、そこの生活習慣が厳しくて、若い男と女が普通に話すことができなかったそうだ。でも話すこともできなかった若い男と女達が祭りの日になったら、相手に自由に自分の愛情を表すことができるのだそうだ。一年も待って、好きな相手がみつかったら、祭りの日、盆に水を入れ、相手の体に注ぐ。もし相手から同じように水を注いでもらうと、それはお互いに好きですよ、の意味になって、二人がデートをするんだそうだ。そして、結婚までいく。でも、相手に水を注いでも何の反応もなかったら、そこでやめるしかないそうだ。その時は仕方なく他の人に水を注ぐ。ずっと、お互いに好きな人が見つかるまで。

こんな美しい話の伝わる伝統の祭りだからこそ、毎年人気がある。もちろん旅人も参加してもいいそうだ。旅人もその日、自分の好きな人が見つかったら、一生懸命何回も相手に水を注ぐ。それで相手から水を注いでもらったら、また、一つの美しい話ができる。

もし、みんなもチャンスがあったら、ぜひこちらに来て楽しんでね

「日本の自然と生活について」

日本は小さな島国であり、昔から地震の多い国である。このせいで超高層も建てられないし、部屋も木造が多いし、また小さな国であるから部屋も小さくて、外国人からよくうさぎの部屋だと言われる。

でもこんな環境の中で生活しているからこそ、発展しているのじゃないかなとも思える。日本はもともとから資源の少ない国であって、何でも輸入に依存している。こんな環境で人は次々と自然にうち勝たなければならない。これで外の国より先に現代化社会に進んでいたと思う。私は日本に来てそろそろ二年になって、その間あんまりよくないマンションで暮らし、地震のこわさも感じていたけれど、やはり中国には戻りたくない。

それはここでもう一生懸命闘っている日本人の姿に見慣れ、そうすればこそ生きている価値があると感じたからだ。また住んでいる間、日本人の礼儀正しさ、こまやかな性格も気に入ったのだ。始めの時はうるさくて、それしか思えなかった。バイト先でもいつもこまかいことで言われ、ほんとうにいやだったが、時間が経つにつれて、もう自ら先頭に立ってそうするようになった。朝のラッシュアワーの時も、いくら混んでいてもきちんと並んでいる姿を見ると、やっぱり違う感じがした。

生活の中でただの小さな事であるが、文明社会の印ではないかと私は思う。

「環境問題」

今日世界の企業は多国籍化している。私は世界的に連帯が進んでいる自動車企業の

環境対策と地球の温暖化について、様々な側面から検討してみたいと思う。

自動車企業は他の企業より最も環境に深く関係があることは間違いない。まず自動車企業が温暖化を犯す主たる原因とそれに対する企業の対策を検討してみよう。

第一は自動車から排出される排気ガスである。企業は排気ガスを減らすために生産工程から様々な工夫をしている。最近はこうした環境問題を解決するためにハイブリッドカーという新たな自動車を研究しつつあるが、企業の採算性との問題点を生み出しているのが現実である。

第二は自動車の過剰生産が生んだ地球気温上昇である。気温が上昇すれば降水量が多くなって、様々な産業に被害を与える。この問題に関してもや企業がすべきことはたくさんあると思うが、まだその具体策は打ち出されていない。いずれにおいても地球温暖化に対しては、重要な問題ではないかと思う。企業としてはとりあえず設計から販売まで環境に対する意識を入れてほしい。採算性に合う企業戦略を企画することと、安くて地球にやさしい製品を生産して多国籍市場に向けて販売する企業戦略が必要である。また消費者の意識転換が必要である。企業がいくら環境を考え、製品を生産して販売しても、コストだけ考える消費者であると失敗するにちがいない。

世界自動車市場はもはや成熟期に入ったと言われている。次に消費者意識の成熟化があってこそ、自動車産業が新たな研究開発に取り組むことができると思う。

規制をかける、製品を生産する企業、製品を利用する消費者の三者が一体化してやさしい地球作りに努力しなければならないと思う。

高校時代の担任教師への手紙

拝啓

若葉のまぶしい季節となりました。ずいぶんご無沙汰いたしておりますが、その後、いかがお過ごしでしょうか。

さて、私こと、三年間の高校生活を終え、このたび、憧れの大学に入ることができました。これはまったく高偉先生をはじめ多くの方々の教えのお陰で感謝いたしております。幼い頃から夢見ていた通訳んじょ仕事、高校時代には先生にも話したことがありましたね。覚えてくださっていますか。

高校時代に、死に物狂いで勉強したわけではありませんので、これからが大変だろうと覚悟しております。大学での勉強は高校のそれとだいぶ違って、授業の時間数はそれほど多くはないから、自由学習の時間が十分あります。でも、レポートを書かされるから、参考書をたくさん読まなければ書けません。私にとっては、ちょっと難しいと思いますが、一生懸命に努力いたしますので、今後ともよろしくご指導ください。

先生もお体に十分気をつけて、後輩たいちの指導にお励みください。

敬具

四月二十五日 王静

高偉先生

「環境問題について」

われわれはいつも「環境を保護せよ。」とよく口にします。でもこれを実際に行動に移すのはむずかしいです。社会が発展するとともに、国々で石油を原料としていろいろな工業品を使っていますが、実はこういうものからいろいろな環境破壊、環境汚染が出て来ます。

またいちばんひどい例は森林破壊です。森林、木は昔から人類が持っている大切な財産だと言えます。人類だけではなくて、地球にとっても一番重要な物だとも言えます。それなのに、人類は今いちばん大切なものを自分の手で破壊しています。シベリア森林破壊のビデオでは、人類がどういうふうに森林を破壊しているかが見られます。シベリア森林はもとは美しい森林だったけれど、人間が何回も木を切って、大きな穴があちこちにでき、それがまた湖になって、大幅な面積に広がっています。こういうスピードで破壊を続けると、地球はいつかきっと森林を失うでしょう。

もう一ついま社会的にいちばん注目されている問題は「原子力発電所」です。世界でもっとも強い国、もっとも発展した国になるため、人類はこの危ない原子力を始めました。各国でこれは国のためだと言っていますが、実はこれがどんな重大な環境破壊になるかわかりません。ロシアのチェルノブイリでの原子力爆発事件でも、多くの人が死んで、子供たちが白血病になって苦しんでいるビデオの場面は、想像できないほど悲惨でした。日本でも今年東海村臨界事故があり、大勢の人に不安感をもたらしました。住民は水も飲めなくて、普通の生活ができませんでした。

これで本当にいいのか。経済発展のために何でもやっていいのか。これはみんながよく考えるべきだと思います。ほかにも海にごみ箱とかあきびんなどを捨てたり、ゴル

フ場下流の汚染など、いろいろあるけど、結局人間自身の営みの結果です。これだけ見ても人類はどのくらい環境を破壊したり、汚染しているのかが見られます。今大学でも環境法学部という学部ができたけれど、環境の重要さを非常に重視しているのがわかります。

環境は人類の生命と同じくらい大切です。いくら口で環境を保護せよと言っても、何の役にも立ちません。いちばん大切なのは、自分から早めに意識して、早めに実際に行動に移すことだと考えます。21世紀に向かうわれわれにとって、もっとうつくしい環境、もっと清潔な環境をつくるのが、我々の責任だと考えます。

「私の国の教育」

中国の義務教育は中学3年生までで、16歳までです。中国では小学校から中学校に入学する時は試験がありません。中学校から高校に入る時から試験があります。高校から大学に入る試験はとてもむずかしいです。進学校の高校3年生たちは、朝7時から夜時まで学校で勉強します。試験科目が多いので入学試験に合格するためにはたくさん勉強しなければなりません。一番たいせつな科目は国語と英語と数学です。1クラスの30パーセントの生徒が大学へ進学します。進学しない人は家にいる人もいますし、就職に合格する人もいます。

「3時間しかねなかったら入学試験に合格するが、4時間寝たら落ちる」という話があるほど、大学に入学試験は難しいです。日本の予備校と同じような学校があるので、入学試験に落ちたらその学校で勉強します。

中国の教育はとても厳しくて、日本とあまりかわらないと思いもす。

「クリスマスと現代人」

「聖しこの夜、星は光り、救いの御子は馬ぶねの中に眠りたもう、いと安く。」

そうです。このごろ町に出かけてみると、町のあちらこちらでこの歌を始め数多くのキャロルが、通る人々の心を捕らえています。そして人々の心の中をウキウキさせたり、なごやかにさせたりします。なぜいきなり一年中静かな町が、12月、それもクリスマスともなると浮ついた気持ちになるものでしょうか。これはただ日本のみならず、全世界、宗教と国境を越えて現れた現象なので、クリスマスという言葉が持っている意味は幅広いと思われます。

さて、まず私が知っているクリスマスの意味を述べます。クリスマスは今から二千年前、イスラエルの小さい町ベツレヘムというところで、一人の赤ん坊が生まれた所から始まるということです。それではなぜ、この生まれたばかりの赤ん坊に、大切な意味があるのでしょうか。その方はよい家庭環境でもない馬ぶねの中で生まれたのです。その方は33年間何も持っていない空身で、特別な教えさえもらったことなしに、一人でおおぜいの人々を変化させました。その方はいつも金持ちより貧しい人、強い人より弱い人、病気の人、子どもたち、また一般の人々には地位階層関わらず愛と勇気、希望など生に対する前向きな理想像を導いたのです。その方の教えは二千年過ぎた今日でも否定できないものです。

一方そんなイエスの誕生のクリスマスが、サンタクロースの誕生日だと間違って覚えているような現代人も多いということです。サンタは、ただあるクリスマスの日、フィンランドという国のある神父が、貧しい家の子どもたちにプレゼントをあげるため、赤い帽子、着物を着て、赤い網袋の中にプレゼントを入れて配ったということから由来

するものです。それが商人と大勢の人々の誤解によって、若い男女が飲んだり食べたりする日、それから無秩序になったりして、本当のクリスマスの意味が消えつつあるようです。

私たち現代人は色あせたクリスマスとともに、物質的には豊かな生活を営んでいるのですが、精神的には貧しい生活をしています。世界の所々では異常自然現象がおこったり、倫理的に納得が行かないショッキングな事件があちらこちらで生じています。基本秩序の枠が崩れつつある。恐ろしいことです。

それで一部社会学者たちは、迫っている二千年のことを「不確実な時代」「展望が不透明な時代だ」と悲観論をあげています。それは豊かな生活とともに人間のとどまるところを知らぬ欲望、情緒が枯れたことが原因になって、この世は暗くなるということです。

ここで私は自分自身を大切にしてクリスマスの暖かい心とイエスの愛を実践すればこれからの二千年、この世の展望は明るくなると思います。今度のクリスマスは大切な自身を振り返って考えながら、回りの人々にも愛を配ってあげたらいかがでしょうか。

「日本語の授業」

日本語の授業は1週間に5回あって、文型や会話、漢字、作文などを練習します。本を読んだり、テープを聞いたり、ビデオを見たりもします。授業中は先生も私たちも日本語しか使いません。

始めに、簡単に復習をしてから、新出語や文型を習います。先生は絵や動作を見せ

て説明していきます。何回も文を聞かせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生の質問に答えたり、学生同士で質問しあったりします。

よく、先生は私たちに短い会話を暗記させて、役割練習をさせます。とても緊張しますが、実際に、体を動かしながら話すのは面白いので、私はこの練習が一番好きです。しかし、漢字は苦手です。先生は私たちに漢字が書いてあるカードを読ませたり、何回もかかせたりします。最後に、声を出して教科書を読みます。先生は私たちに一人ずつ読ませて、間違った読み方をなおします。

「娯楽」

「日本人は働き蜂」とよく言われます。確かに、日本人は勤勉でょく働き、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、誰でも仕事ばかりしているわけではありません。それでは、仕事からされた時、日本人はどんなことに楽しみを見出すのでしょうか。

まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事の両方ができて「一挙両得」のようです。

「時間と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているのではないでしょうか。国内ばかりか円高の影響から海外旅行熱も高まるばかりで、休日の駅や空港は大変混雑します。

スポーツ観戦は野球、サッカー、相撲などに人気があります。テレビの番組表を見

ると、いかに日本人がこれらが好きかがわかります。広いグランドで繰り広げられるゲームや狭い土俵の上の勝負に熱狂し、ひと時を過ごすのは、たとえテレビの観戦にしても楽しいものです。

また、お年寄りに人気があるのはゲートボールです。孤独になりがちなお年寄りがいっしょにボールを追いかけることで、楽しみを共有できるのはよいことだと思います。

パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきり別れます。しかし、どんな町にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人の娯楽の中に必要がありそうです。パチンコファンは老若男女を問わないようで、店の中には、さまざまな層の人がゲームを楽しんでいます。

カラオケは世代によって楽しみ方が違います。若者はカラオケボックスで、歌うことを目的に、数時間を過ごします。仲間だけでいられること、何人もで楽しめること、歌っている瞬間は主役でいられることなどから人気があるようです。勤め返りのサラリーマンが立ち寄るバーなどにも、カラオケの設備のあるところが大半です。「いっぱい飲みながら」歌うカラオケは、知らない人同士マイクを譲り合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍手をする。最近では外国人のために、各国語の局をそろえたところも出てきました。

地球を守ろう

経済が発展する一方で、環境問題も相当深刻になってきた。深刻な環境問題の一つに森

林破壊がある。我々が木を次々に切り倒したことは、多くの問題を生み出した。ある野生生物は生息地を奪われ、絶滅した。また木が少なくなったことで、山崩れや川の氾濫が起こりやすくなった。

また都市部では自動車の数が年々増えている。自動車の排気ガスは、大気汚染に大きな

影響を及ぼしている。大気汚染によって、喘息や気管支炎、肺がんなどの呼吸器系統の病気が急増している。工場から出される有毒ガスも大気汚染の大きな原因だ。大気汚染は「空中鬼」とも言わ

れる酸性雨を降らせる。酸性雨は森林や農作物を枯らせ、湖の魚なども死なせてしまう。

また、工場の廃水は、川に住んでいる生物に被害を与える。さらに、汚染された魚を食べた人間は病気になり、汚染された川の水を引いた田畑の農作物は枯れてしまう。

環境汚染が更にひどくなれば、人類は破滅する。そして全ての生物が滅んでしまったら、

地球はただの汚れた星になってしまう。この美しい地球を守るために、人類全体が協力していかなければならない。

国民的スボーツ

スポーツの普及は、国によって特徴があり、それぞれの国には国民的スポーツと言

える

ものがある。例える、イタリアではサッカーが国民的スポーツと言える。ワールドカップではイタリアチームはいつも優勝候補の一つである。また、世界各国の有名選手たちがイタリアのプロサッカーチームで活躍していることからも、レベルの高さが分かる。

日本ではやはり野球だろう。会社から帰ったお父さん達の楽しみは、ビールを飲みなが

ら、テレビで好きな野球チームを応援することだと日本語の授業で習ったことがある。野球シーズンには毎日のように、試合の様子がテレビで生中継されるそうだ。

アメリカ人はバスケットボールが好きだ。大きな選手が狭いコートを激しく動き回る。

点数が入るたびに観客は立ち上がり歓声を上げる。テレビで見ていてもその興奮が伝わってくるようである。

中国ではもちろん卓球だ。私達は子供の頃から卓球に慣れ親しんできた。どの学校にも

卓球台が並ぶ運動場があり、いつも大勢の学生が卓球を楽しんでいる。オリンピックなどの国際大会で活躍する有名な選手もたくさんいて、彼らは私達の憧れの的であり、誇りでもある。

「自然」

工業都市の蘭州で学生時代を送った。その二年間、青空と星が輝く夜空を一度も見たことがなかった。西北の荒涼さの特徴だと思っていたが、それは自然ではなく、人工的工業汚染であった。人類と共存してきた自然はいまや人間の限りない欲望の結果、人々の生活や生存まで脅かしている。

昔から人類は自然と戦ってきた。衣食住のため、自然を利用するのは、人間と環境の相互作用である。しかし、産業以来、資本の獲得、生活の豊かさ、快適さを求めるために、空を突くような煙突からは一日中煙りを放出し、汚水は澄んでいた川に流れ込んで水銀中毒などいろいろな環境問題をおこした。地球保護意識に目覚めた専門家によって自然破壊、環境汚染などの問題が警告されてきたが、先進国は自然保護の先頭にたって自然保護に取り組んでいながらも、自国の利益が損なわれない範囲に限るし、発展途上国は一日たりともはやく先進国と経済的、国力的に肩を並べたいとして、その環境が脅かされるのを甘くみている。また貧しい国では地球と言う意識さえ持っていないのである。今でもアフリカのある部族は集団移動するたびに一つの森を燃やして耕作するという話も真実だ。国際援助、環境保護を訴えることは急務だ。

新聞の記事であるイギリス人青年がりんごのへそまで食べる所を見て、不思議に思った。ゴミを減らすために苦いへそまで食べるのは納得が行かない半面、平時の自分の行動を振り返ってみた。人々のささいな行動に意識が込められ、自然を守っている。

人は地球に住まわせてもらっているのである。自然を征服するという本当の意味は、自然を守るのではなく、自然の豊かさに恵まれ、より深い関わりを保っていくことである。国々、人々はその関係を見直して、自然破壊に歯止めをかけてほしい。(中国、女性)

「アルバイト」

「アルバイト」はもともとドイツ語で「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、学生の副業の意味として使われるようになった。

現在、日本の大学生の90%以上がアルバイトを経験しているという。そしてアルバイトのために学校を休む学生も多いそうである。

授業はやぼってもアルバイトにはいく。そういう大学生たちは何のために働いているのだろうか。あるアンケート調査によると、大学生のアルバイトは、サービス、販売など第3次産業の仕事が多い。そして、「どうしてアルバイトをするのか」という質問に対しては「海外旅行をしたいから」「車を買うため」などの回答が多かった。ほかにも、「貯金をして、留学の費用にするつもり」「学費は自分でかせぎたいから」「会社勉強になにから」という回答も見られたが、ごく少数てあった。この調査結果からわかるように、アルバイトの目的は遊ぶためのお金をためることが中心となっている。

たとえ遊びが.主な目的でも、アルバイトをすることで、労働の尊さやお金を得ることの大変さを体験できるのだから、大きな意味がある。しかし、アルバイトのためなら授業をさぼってもいいとのは問題である。

花見

今年も春になった。野原が緑になり、花が咲いて、野鳥もいろいろ渡ってきた。大学の

近くに大きな公園があり、そこは桜の名所である。今年も見事に桜が咲いていると聞いて、友達と四人で日曜日に花見に行ってきた。

その日は朝から天気がよくて、気持ちがとてもよかった。私たちはビールとお酒とお弁

当を近くのスーパーに買いに行った。花見の影響か、スーパーはいつもより混雑していた。買い物を済ませた私たちは自転車で公園に行った。公園の中の桜の花はちょうど満開で、見渡す限り花の海だった。少し早めに行ったので、花見をしている人はまだ少なく、ゆっくり花見ができ、花の前で写真をたくさん撮った。まもなく花見に来る人がだんだん多くなって、公園の中はとてもにぎやかになった。お昼には、満開に咲いている場所を選んで、お弁当とビールなどを広げた。食べながら、話したり、歌ったり楽しく一日を過ごした。今年も花見を満喫できた。やはり、青い空の下、仲間とともに自然を楽しむという経験は人間にとってとても大切だと思った。

中高生に携帯電話が必要か

中高生に本当に携帯電話が必要なのだろうか。人によって意見が違うだろうが、ぼくは、賛成派である。

その理由はいろいろあるが、ここで少しあげてみよう。まず、家族や友達との連絡に便利で、実用的だからである。次に携帯は時代の進歩と、若者の新しい物への追求を象徴するものだからである。現在否応なくデジタル化へと突き進む流行の波が、全世界を席巻している。時代の流行に敏感な中高生は、自然とこの波の流行に乗ろうとする。

また、も中高生は、携帯を使ってはいけないと言っていないし、学校の規則にも、これに関する明確な規定がない。

たしかに携帯が中高生に影響をもたらしているのも否めない事実だが、それは使い方次第であり、所持者がマナーさえ心得ていれば文明の利器なのである。

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